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所在地

 

*八幡小路界隈
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平一小の背後の坂道を長坂という。坂の途中、左手に建つ「磐城中学校跡」と刻まれた石柱を見上げつつ、登り詰めると裁判所に突き当たる。右に折れると検察庁が続く。丁度そこは四つ角、直進すれば胡摩沢に至る下り坂。右に進めば高麗橋を渡って六間門へと向かう。左折して歩き出せば、このあたりが八幡小路である。検察庁に続いて、拘置所、少年鑑別所と角張った建物が並ぶ。

磐城平藩安藤家時代には、この場所に藩校施政堂が置かれていたが、戊辰戦争で平城攻撃の際に建物は焼失してしまった。藩校で多くの子弟を教育した室桜関(1818〜1885)の碑が、向かい側の飯野八幡宮の境内に在る。篆額は最後の平藩主であった安藤信勇(あんどうのぶたけ)、書は明治を代表する書家・巌谷一六(いわやいちろく)である。桜関の七回忌にあたる明治24年、かつての門人たちにより建立された。飯野八幡宮は、慶長7年(1602)鳥居忠政が磐城を領有して新たに築城するのに伴い、現在の地に遷宮したとされる。

大鳥居をくぐると円月橋がある。大正時代には改修されて石造りになったが、擬宝珠には元禄10年(1697)の銘がある。棟高10.6メートルの楼門には、「八幡宮」の社号額が掲げられている。後陽成天皇の皇子で、後水尾天皇の弟にあたる聖護院門跡道晃法親王(1612〜1679)の染筆である。和歌の指導を受けていた藩主・内藤義概(ないとうよしむね)が、延宝2年(1674)の社殿大改修の際に寄進したものである。楼門の周囲を巡って、彩色された十二面の蟇股彫刻(かえるまた)を眺めるのも楽しい。 楼門のほか、神楽殿、唐門、仮殿、宝蔵・若宮八幡神社、幣拝殿など、境内の建物は、いずれも国の指定文化財である。

延宝2年の改修で、桁行三間・梁間三間・入母屋造・こけら葺となった本殿は、昭和58年に国の重要文化財に指定された。11.8メートルの高さにある箱棟には、八幡宮独特の鬼板が取り付けられている。9月14・15日の例祭に行われる流鏑馬神事には多くの人手があるが、鳥居の前の市道がかつては八幡宮の流鏑馬馬場であったことを知る人は少ない。

直進の道はこの先大館に続き、高月の磐城高校に右折すれば、道匠小路となる。道匠は、古くは道場と記され、時宗(じしゅう)の城西寺がこの辺りに所在した事に拠る。