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飯野家文書中世篇・近世篇を事例に
       地域史料の活かしかたについて

第22回 歴史研究と電算機利用ワークショップ
 <期日>2005年3月12日(土)
 <主催>情報知識学会 人文・社会科学系部会
 <場所>東京国立博物館 平成館
 <報告> 飯野文庫室長小野一雄・同研究員飯野敦子


1 飯野家文書中世篇 概要

飯野家文書は、鎌倉幕府政所執事伊賀光宗を祖とする飯野八幡宮宮司飯野家に伝世する鎌倉期から明治初期にいたる史料で、1683通が国の重要文化財に一括指定されております。 東北地方屈指の中・近世史料群と言われており、このうち中世史料は209通にのぼります。国学者大国隆正の言を容れた飯野盛容によって、明治4年(1871)頃178通が9巻の巻子に装丁され、そのほかの北朝方の史料などは未成巻のまま秘蔵されてきました。

その内容は、関東下知状など好島荘の相論に関する史料、南北朝期の足利尊氏感状・同直義感状など武将としての伊賀氏の動向に関する史料、飯野八幡宮縁起注進状案・飯野八幡宮鳥居造立配分状など八幡宮に関する史料に大別されます。これらは、鎌倉期の好島荘の状況を明らかにし、南北朝の動乱期における伊賀氏の活躍を伝えており、あわせて奥州管領の権限をもうかがわせるものです。また室町期から戦国期における岩城氏の大名化の過程を示す史料でもあります。江戸時代には、新井白石が元禄15年(1702)に著(あらわ)した「藩翰(はんかん)譜(ふ)」に引用しています。

2 デジタル化に至る経緯

これら史料の保存は、紙媒体の宿命というべき湿度の管理、虫損の防止などとともに、活用の観点から多くの問題を抱えておりました。
各関係機関からの調査閲覧や撮影の依頼があると、なるべく応えるべく準備を進めます。当方には収蔵庫なるものが未だ整備されておらず、収蔵している土蔵から当該史料を探し、搬出し、立ち会う、誠に多大の労力を必要とし、時には丁重にお断りしなければならない状況もままありました。また、巻子の装丁をしていますので、閲覧する際には巻子を紐解き該当する史料をお出ししています。解いて巻いてを繰り返すことになりますので、そのたびに紙にストレスを与えるため、閲覧をするたびに史料の傷みが進行することになります。なんとかこれらの課題を解決する手段はないかと種々検討を重ねてまいりました。

検討するにあたり、幾つかの将来性にも目を向けました。高精細のデジタル画像を備えることによって、取材や撮影依頼が来た際に画像を用いて頂くなど、自由に研究利用しやすくできるとともに、新しい研究の可能性を開くこともできるのではないかという将来の展望がありました。また、過去に活字化されているものも多くありましたが、誤読も多々見られていた部分を修正する必要性もありました。他にも活字だけでは例えば花押や紙の質などがどのようになっているかなどは知ることが出来ず、情報量も限られており、自由に研究することは難しい状況であったことも解消できればと考えておりました。

このたびの「定本飯野家文書・中世篇」CD-ROM版は、飯野家の祖光宗が宝治元年(1247)に時の執権北條時頼から好島荘預所職を命ぜられてより750年目にあたる平成9年を契機として事業を計画いたしました。

デジタル化における過程は、県指定重要文化財だった時分に、平電子印刷所様より資材提供を受けまして、史料をブロニー版で、カラーのポジフィルムを用いて撮影を致しました。この頃より既にデジタル化の計画がございました。その後、いわき市内における地域学会・地方史研究会の方々のご協力を得て、近世文書の整理・目録作成をし、飯野家文書1683通は平成6年国指定重要文化財として一括指定されました。

その後、平電子印刷所様のご協力を得て中世篇の史料をフィルムスキャナでデジタル化し、指定後に発見されました史料を追加分として撮影しデジタル化をしました。同時に活字化も進めてまいりましたが、活字化を進めるにあたり、中世史料には多くの外字や異体字が含まれ、入力をしたくても文字が存在しないため、文字を作る必要がありました。

3 文字と画像をPDF表示 活用観点

文字を作るにあたっては、windowsに標準で備えられている「外字エディタ」を使用しました。「外字エディタ」はビットマップフォントの輪郭を抽出してアウトライン化するため、TrueTypeフォントに比べて若干ギザギザ感が目立ちますが、今回のような史料の活字として用いるには、拡大する必要性は無いため「外字エディタ」で作成したフォントをそのまま用いました。

文字が表示されない理由はコンピュータが文字を表示させるシステムにあります。コンピュータを作動しているOSにはWindowsやMacintosh、UNIXなどさまざまなものがあり、また文字を表示するソフトウェアも沢山あります。日本語文字にはJISの非漢字、漢字1水準、漢字2水準、IBM 拡張漢字など8000文字あまりのフォントが入っています。文字はマシンに背番号のように文字番号で登録・管理されていて、表示・印刷する際は文字番号で検索して該当する番号の字形データに変換しています。マシンに登録されていない文字や、文字コードから外れる文字や異体字は、正確に表示・印刷することが出来ませんし、環境が合わなければ強制的に別の文字に置き換えられてしまったり、文字化けを起こしてしまって判読不可能となります。

今回のように通常の文字セットに含まれていない文字があった場合、文字が登録されていない部分に、独自に作成し外字として登録・管理していくようになります。外字のメリットはどんな文字でも作れることにありますが、デメリットは文字を登録したマシン以外では表示・印刷できない制限が生じます。フォントファイルのコピーをすれば解決しますが、特定の外字だけデータの共有を行なうのは出来ず、コピーすると移したい側のマシンに先に登録していた外字データがあったとしましたら、上書きされてしまいます。また。新たにフォントを作成し登録するたびにファイルのコピーをする必要があるため、正確なメンテナンスが必要になります。


この問題を避けるため、PDFにし、フォントをエンベット(埋め込む)設定にしました。Adobe社のAdobeAcrobatというソフトを使いPDFにすれば、Adobe Readerが入っているコンピュータであれば文字が正しく表示できるようになります。Adobe ReaderはPDFファイルをより安全に表示、印刷、共有するための無償のソフトウェアとしてAdobe社のサイトより提供されています。

その他にもPDFにはいくつかの利点があり、今回は活字だけでなく史料の画像もPDF形式で表示する形をとりました。元の史料と同じレイアウトやカラーで見ることもでき、例えば系図など非常に複雑なレイアウトでも正確に表示できます。また、PDFの独自の圧縮方法により精細さを失うことなくデータの容量を減らすことができる点、倍率を変更して史料を拡大表示することも可能です。

拡大表示機能は、解読するにあたっても例えば特定の部分のみ複数の史料をモニタ上で並べて筆跡を比較したりできるなど、利便性にすぐれていましたし、紙の裏にある裏花押や、過去に史料整理された際につけられた和紙の付箋まで精細に見ることもできます。

また、左に活字・右に画像があり、中間部分にあるバーを移動して活字部分を隠し、解読をしたあとに活字と照らし合わせるなど、古文書解読講座などにも用いることができます。精細かつ柔軟な表示方法には、原史料に接する以上の多くの情報を得ることができるだけでなく、様々なケースワークに活用することができます。より正確で利用者のニーズに合った情報提供の手段を選択できることに繋がるでしょう。

4 CD−ROMデモンストレーション

1 1−1 関東御教書 宝治元年 1247
6 1−6 八幡宮鳥居造立配分状 宝永6年 1269
180 未成巻-2 八幡宮鳥居差図 文永6年12月 1269.12.00
215 未成巻-35 好嶋庄好嶋田浦田黒葛緒検注目録 延慶4年2月17日 1311.02.17
200 未成巻-20 吉良貞家軍勢催促状 観応2年正月28日 1351.01.28
201 未成巻-21 足利尊氏軍勢催促状 観応2年2月12日 1351.02.12
204 未成巻-24 口宣案 文和4年7月5日 1355.07.05
172 別2-23 岩城親隆起請文 永禄12年霜月3日 1569.11.03
113 6-9 岩城常隆禁制 天正6年12月24日 1578.12.24


5 飯野家文書近世篇 概要と現状

飯野家文書近世篇は飯野八幡宮が幕府より神領として400石の朱印地を賜り、その朱印地の経営の記録です。当時神領は藩から独立した地位をもっていました。すなわち、司法、立法、行政の三権を掌握し、神領民の生活全般にわたって支配しておりました。この記録を研究することにより当時の平藩の経営のみならず、ひろく全国にわたる幕藩体制下における民政の実態を窺い知ることができるのではないかと思います。

現在は、近世史料の目録を整理すると共に、ネガフィルムをコンピュータのハードディスクに取り込む作業を行っております。近世史料は点数にすれば中世文書の7倍とはいうものの、冊子の形態などを含んでおり画像はおよそ3万点ほどの数にのぼります。また、これらの史料は殆どが未だ読み下しが行われておらず、それらの作業は困難を極めることと思います。しかし、今この作業をやらないとフィルムの劣化などにより、よりますます判読不能が予想されます。


6 地域を知る意義

中世篇は私ども飯野文庫で整理することができましたが、近世篇は私どもの力だけでは到底整理し切れません。なにか手立てはないものかと思案をした末に、原点に返る理念を基礎にしたケースワークを提案する事業として進めていくことにしました。

歴史とは、例えば自動車・タバコ・原子力などを説明しようとすると、それはみな歴史の話になります。「歴史」の細分化をしているに過ぎません。 歴史を研究することは、人間が培ってきた文化を研究するということに結びつきます。整理・活用するというのは、過去データをサンプルとして用いるということです。要するに、歴史はあらゆる分野における基本であり将来への足がかりにもなる貴重な知恵なのです。

しかし、用いたいときにデータが残っていることが前提になります。モノや紙・メディア媒体などの資料も残すには様々な工夫が要されますが、例えば、地域に密着した「記憶」はどのようにすれば残るでしょうか、一番困難な部分でありましょう。

伝承には、記憶や口伝の伝承と、史料が導き出す伝承があります。私の学生時代の話になりますが、色々な地域へ調査をしに通い、地域のご老人たちに迎え入れて頂き、色々なお話をお伺いしていました。地域に伝わる「あゆのなれずし」の調査をしていたこともありまして、その際にも「なれずし」の話だけではなく、当時の自然はどれだけ豊かだったか、幼い頃に友達と連れ立って裸足で川に入り鮎を手づかみで取った話や、ご家族の写真を見せてもらいながら母親が作ってくれたうどんの思い出などを嬉々としてお話してくださったりしました。また、他の調査地でも史料の目録取りの合間に、抽斗や箱から出てきた昔の玩具の遊びかたを教えてもらったりもしました。

私が嫁いだ地域のご老人からも、昔のカメラの使い方や庭先にある植物のいわれ、山に伝わる妖怪の話を聞かせてもらったこともあります。そして、そのお話を元に色々な文献や史料を探して調査をし、テーマを掘り下げて地域や当時の時代背景などを合わせて推考していきました。

記憶は地域にあって伝わり形にすることで意味をなすものであり、また、史料は推考することで形をともなって意味をなすのです。その本質が地域から抜けている限り、豊かで特色のある地域社会は成り立たないともいえるのではないでしょうか。

しかし、その本質を学ぶには、各世代のコミュニケーションが必要になってきます。高齢者が孤立して高齢化していくにあたり、記録とともに記憶の伝承にも対処すべきなのですが、その危機感は殆ど無いに等しいのが現状です。物理的にどのようにコミュニケーションを取っていくか、地域差のない方法を模索する必要があります。コンピュータなどを用いてネットワーク化を図る手段もありますが、ジェネレーションギャップの緩和を求められるでしょう。


7 地域を知る 主観的コミュニティ

各世代には、それぞれの世界観があることを認識したうえでコミュニケーションを図ることが必要です。蓄積された経験に基づく高齢世代の方々の叡智と、若年世代の柔軟かつ超越した発想力・行動力とを掛け合わせることが可能になれば、非常に素晴らしい将来を導き出せます。 世代間の壁がなくなれば、頭を豊かにする知識の時代ではなく、心を豊かにする知恵の時代を迎えることが可能になるでしょう。


史料を整理・解読していくにあたり、よくある手段としてはボランティア解読講座などを開きます。しかし、受講されるのは高齢者が多くを占めます。しかも講座が終わり解散してしまったらそれきりで発展しないことが殆どです。 ジェネレーションギャップを超えたコミュニケーションを図り続けることが実現できれば、とても素晴らしい意義が生まれるでしょう。史料の整理・解読をきっかけに世代を超えて共に学ぶことは、高齢化社会・核家族化における交流のケースワークとして応用が可能ではないでしょうか。

次にボランティアの意義についてですが、ボランティアは出来る人と出来ない人がいます。それは報酬の捉え方の違いだと私は思います。金銭の報酬を得る代わりに、実現・知識・関係・評判・成長の5つを報酬としてボランティア活動では得ることができます。しかし、現実的な話、普段の生活には必要のないことが多いです。ではなぜボランティアをするのでしょう。先にあげた5つが心の枯渇を満たすためではないでしょうか。

それは生涯学習、ライフワークに結びつきます。2人であっても100人であっても、共通するライフワークを通しての心の交流、コミュニケーションが最も成功しやすいのではないかと思います。 また、得てしてコミュニケーションを進めていくにつれ、狭い視野から出られなくなる、井の中の蛙状態になることがあります。ピンポイントで深めていくことも小さな世界感から大きな世界感へ繋がり、有効でしょう。しかしそのためには全体(世界)レベルを予め知ることが不可欠になってきます。 この2つを失念せずに活動していくことが出来れば、1人1人が探究心と創造力を失うことなく、責任と意思と誇りを持った行動ができるはずだと私は思います。

現在、いわき市内において数人の研究者・教育者たちと研究コミュニティを作り、飯野家文書近世篇を事例に地域を知り、各分野の横のつながりを活かそうと、月に何度かミーティングとして勉強会を行っております。このコミュニティの輪を広げて広い視野を持ちつつ、ふるきをたずねて新しきを知る「温故知新」の心を形にすべく、近世篇をまとめていきたいと思います。